それはどんな場面でもありえるでしょう。
他の誰かと、何かしらを、成し遂げようと、すること。
学生であれば文化祭。社会人であれば業務プロジェクト等。
自分の取り組みがはっきりと数字で記録され、評価される場合、あなたは頑張るかもしれません。
でも逆に、誰がどれだけ取り組んでいるかわからない場合、あなたは頑張らないかもしれません。
そんな環境は往々にしてあるでしょう。
集団で目標を叶えようと努力すること、現在の日本では幼い頃からずっと経験します。
そんなとき、集団であなたは頑張るでしょうか。頑張らないでしょうか。
大学時代、研究室の先生に最初に言われたメッセージ
私の大学では、研究室に所属する学生の数は20人であり、多いものでした。
個人で研究するのではなく、数人で一組となり、協力していく形式です。
またそれだけではなく、研究室の人間全員で集まって、議論をすることも多々ありました。
研究室に所属した我々学生に対して、先生が初回に話してくれたお話、それが今も心のなかに強く残っています。
それはとある村でのお話を喩え話にしていました。
とある村でのお話 ※著者による補正あり
毎年、夏になると大切な祭りがある。村の守り神として親のまた親のその先の代から祀っている神様のための祭りである。その祭りでは村の広場に多くのたいまつを並べ、そのたいまつの火が絶えるまで歌い、あるいは踊り、酒や飯を食らい、前年の越冬の感謝と、秋の豊作を祈っている。
たいまつには高価なお酒を使う。なぜならば、たいまつに使う木材は非常に燃えづらく、単純に火の元を近づけただけでは点火できないからだ。そのたいまつを燃やすために高価なお酒を使うのである。たいまつの火が保つ時間は、どれだけ高価なお酒を不純物なしで使っているかに左右された。守り神に捧げる意味も込められているため、酒は安価なものは使えなかった。
多くのたいまつを燃やすためにはたくさんの高価なお酒が必要だった。一人の村人がその高価なお酒を用意しようとすれば、おそらく飲まず食わずの生活が死ぬまで続くほどの出費となる。そのため、村人全員で高価なお酒を少量ずつ購入し、それを集め、たいまつを点火するのに使う。
この年の祭りもやってきた。
村人が春先からこの夏の祭りのためにお金をやりくりし、離れた先の町から調達してきた高価なお酒。それらをなみなみと大樽に注ぐ。酒好きならば、樽から香る酒のにおいに思わず口角を緩めざるを得ないほどである。
そしてたいまつの用意も着々と進む。非常に燃えづらい木材が芯であるたいまつの先に、十分に高価なお酒が染み渡るように特別な加工がされる。そして大樽の中へたいまつの先端をつけ込み、十分に高価なお酒をしみ込ませる。
村の広場では点火を今かと待つたいまつだらけとなる。村長のかけ声で、一斉にたいまつに火をつけることが習わしとなっていた。その瞬間は、ちょうど日が沈み込み、村全体が黒くなりかける頃合いである。その時間に合わせて、飲み食いする食事や飲み物が準備される。
そしてその時がきた。村長のかけ声とともに、たいまつに火がつけられた。一瞬のうちに人々は橙の光に照らされ、笑顔が、歓声が、響く、はずだった。
あたりを見渡してみると、たいまつに火を灯すための種火だけが弱々しく燃えていた。いずれのたいまつにも火はついてなかった。
あっ、と現在の状況を理解した村長は高価なお酒を集めた大樽へ向かい、柄杓を使って中身をひと飲みした。
水だ、村長は一言だけつぶやいた。その年の夏祭りは終わった。
先生が伝えたかったこと
この話を先生がしてくださったあと、細かいことは教えてくれませんでした。
ただただ、「お前ら、この研究室での時間に、水を混ぜてくれるなよ」と言うだけ。
また折を見て、私達の様子を見ながら、「酒を入れてるんか、水を入れてるんか」、そう問いかけてきました。
その度、自分の言動を見つめなおします。
あなたはどちらの人でしょうか。
お酒を入れているでしょうか、水を入れているでしょうか。